丸くやわらかい。

アラサーがゲームについて語ります。欲しいものリスト: https://www.amazon.jp/hz/wishlist/ls/1AEZ2BJJXUBH3?ref_=wl_share

ドラフトとFIREとブロック制と。

ドラフトはMTGAで行う事ができるあらゆるフォーマットの中でも特に健全で面白いものである、と私は思っていますが、その理由について言語化した事はありませんでした。今回はなぜ最近のドラフトは健全なのか、ということについて考えてみます。

 

最近も軽く話題に上がりましたが、昨今のMTGFIREという理念に基づいてセットを作っています。

 

mtg-jp.com

 

FIREとは


Fun(楽しく)
Inviting(興味を引き)
Replayable(繰り返し遊べて)
Exciting(ワクワクする)


の4つの標語から成っています。これらの頭文字を取ったFIREの理念は、戦乱のゼンディカー周辺のセットにおける「目玉カード以外が弱すぎる、面白みが無さすぎる」問題を背景としたものです。FIRE理念はコスト踏み倒しなどのリスキーなデザインにも積極的に挑戦していくと同時にコモン・アンコモンのカードパワーを引き上げることで、「マジックをより楽しく」ひいては「セットをより魅力的に」することを目的としています。残念ながら、こうした理念がありながらも、様々な要因によって昨今のスタンダード環境は崩壊と言っても過言ではない程の苦境に追い込まれている事は否めません。


また、ほぼ同時期にブロック制が廃止され、1セットで完結するようになったことで、開発・テスト側の負担は更に増しており、プレイデザインチームも無茶なタスクの数々に押しつぶされていることでしょう。何かしら体制が変わらない限りは「調整ミス」は今後もそれなりの頻度で顕在化し続けると予想されます。


さて、何故私がこんな話をし出したか、読者の皆さんにはお分かりいただけるでしょうか? 勿論、いちアマチュアプレイヤーの立場からMTGの未来を憂いるため……ではありません。MTGの未来を憂いるのは、そのための記事でやれば良いのですから。私がこの話を前置きとしたのは、唯一、恐らく唯一、こうした改革の影響の全てがポジティブな方向に働いているのが、何を隠そうドラフトだからです。

 

私の持論ではありますが、FIRE理念の解説にある「強いカード」は魅力的というような言説は正しいものです。

そうした「強いカード」が好きなだけ使えるとなると、一部の強力なレアや神話レアの組み合わせによって相対的な強さの勾配が発生してしまうという点が構築戦におけるジレンマになっているというだけで、私たちは基本的に「強いカード」が好きで、それをプレイする時に楽しさを感じるのです。極端な話、全員が3/3バニラや2/2飛行を使い、除去は5マナ3点火力というようなゲームよりは、色々なオマケがついた強力なクリーチャーを出し合い、高効率の除去を撃ち合う方が楽しく、プレイしがいがあるのです。

 

そうした理念に基づくカードパワーの底上げは、少なくともドラフトにおいては「強いコモンとアンコモンが増えてピックの選択肢が増える」という良い影響を及ぼしています。これは、リミテッド用のコモンの確定除去1つとっても明白です。私の経験上最も弱い確定除去だったテーロスの《一口の草毒》と、昨今で特に大きな支持があったイコリアの《血液凝固》を比較してみましょう。

 

f:id:AnCovered_Mochi:20201114135908p:plain

 

ご覧の通り、残酷なほどに差は明らかです。2マナも下がり、シングルシンボルになり、インスタントになり、どちらも確定除去に小さなオマケがついていますが、オマケの有用性も《血液凝固》に軍配が上がります。もちろん、時代の差はあります。テーロスはクリーチャーを対象に強化を重ねる"英雄的"メカニズムが推されており、その戦略をリミテッドでも成立させるためにコモンの除去は弱くするべきだったという背景もあります。ですが、それにしてもこれは酷いものです。

 

今ご覧頂いた2枚のカードの比較は極めて分かりやすい形のFIREの成果の一つです。

FIRE制定以前は、「《殺害》はコモンにしては強過ぎる」としてアンコモンに格上げされていました。現代ではアンコモンの除去は《無情な行動》や《取り除き》《血の長の渇き》など構築戦で出番があるレベルのカードが多く存在します。《致命的な一押し》のような異端児を除けば、当時の除去はアンコモンでも構築戦で力不足だったカードが多かった事を思うと、これは間違いなく進歩です。

コモン・アンコモンのカードパワーはレアのそれには及びませんが、その差は一時期と比べて随分と小さくなっている事はなんとなく分かっていただけると思います。私も基本セット2020で《殺害》がコモンに戻ってきたとき、現代のカードパワーの基準というものを実感したものです。

 

コモン・アンコモンとレア以上のカードパワーの差が開くほど、レアカード1枚で負けてしまう「レアゲー」が発生しやすくなり、コモン・アンコモンの平均したカードパワーが低いほど、一部の有益なカードに需要が集中し、デッキに入れたくないカードが増え過ぎてしまうという形でピックの面白みが損なわれてしまいます。低レアリティのパワー引き上げはそうした問題に対する解答であり、今のところは成功していると言えるでしょう。

 

f:id:AnCovered_Mochi:20201114144133p:plain

 

とはいえ、パワーレベルの勾配というものは、ゲームである以上あらゆる範囲で発生することがあります。昨今のスタンダード構築環境で禁止と一強のサイクルが続いていたように、全体のパワーレベルが高かろうとも、その中でその高いパワーレベルから更に突出したものは必ず現れます。

そして、情報溢れるインターネット社会において、あらゆるプレイヤーは突出したものの知識を得る事ができ、容易にアクセスが可能なのです。たとえ、その差が小さなものであったとしても、多くのプレイヤーがトップメタと呼ばれるデッキをまず手に取ることは自然ですし、統計で見た際に、"とりあえずトップメタを握る層"の顕在化によって均衡がより崩れているように見えるというのは、あまりにも自然な事だと私は考えています。

禁止後のスタンダードは良環境とされていますが、公認イベントを見る限りではグルール・アドベンチャーは30%程度いるとされています。ですが、それでも良環境と見做されているのはオムナス・アドベンチャーと比較して勝ちようのある相手だからです。圧倒的で絶望的な強者でないにも関わらず、環境の3割を占めているのは"とりあえずトップメタを握る層"の増加を意味しているのではないかと推察できるわけです。

 

個性があれば差異が生じるものであり、強さ・使用率という絶対軸であらゆるプレイヤーがそれを見る事ができたら、それが均衡を崩してしまう──これはあらゆるDCGが直面し、解決が難しい問題でもあると言えるでしょう。そして、安易に情報化が悪いと結論付けて良いものですらありません。リミテッドの、低レアリティの世界においてもそれは例外ではありませんが、リミテッドはそれを別のアプローチで無力化しています。私はそれを「ドラフトの自浄作用」「1セット制の影響」の2つが働いた結果だと考えています。

 

「ドラフトの自浄作用」とは、強い戦術が確立されたとしてもリミテッドのカード枚数は有限であり、全員がそれを用いたデッキを実現することは不可能であることに起因しています。奪い合いが激化することで強い戦略を軸にしたアーキタイプは組みにくくなり、パーツの収集難度が上がることで、相対的に弱い(組みにくい)アーキタイプになるというものです。

アリーナにおいては「リセマラ」を行う事で自浄作用の効力は削がれますが、それでも一定の意義はあります。そもそも「リセマラ」をする層自体が全体で見れば少数なのですから。これにより、完全に最強のアーキタイプが生じ、それを組めなければゲームをやる価値がないレベルに近い所までいかなければ、ある程度の多様性は守られます。

 

2つ目の理由である「1セット制の影響」はどうでしょうか。

ドラフトは、ブロック制から1セット制に変わったことの良い影響を直に受けていると私は考えています。かつてドラフトは同ブロック内の複数セットのパックを用いて対戦していたわけですが(例えば、テーロスブロックならば、テーロス、神々の軍勢、ニクスへの旅の3セットを1つずつ開封してドラフトをしていました)、そうしたブロック制を捨て、1セットで完結するようになった事で開発側も環境のコントロールをしやすくなっているわけです。これにより、完全に最強のアーキタイプが生じること自体を抑制しています。


良い環境になりやすいのはテストプレイが行き届いており、行き届かせることが現実的に可能な広さのカードプールだからだと推察できます。これは、1セット制で毎回メカニズムやコンセプトが大きく変わることで予期せぬ影響が生じやすくなり、テストの“目”を潜り抜けやすくなってしまう構築戦のバランス調整とは対照的です。

1セット完結制によってプレイヤーは3ヶ月ごとに全く新しいドラフトを楽しめますし、過去のパックを剥く必要がない点も、(時勢を鑑みても)ウィザーズのパックの売上に大いに貢献していることでしょう。1セットで完結するようになったことで開発側とプレイヤー側はともに恩恵を受けている訳です。

 

MTGAによるインフラの整備もドラフトにとっては完全な追い風でした。リアルのドラフトは8人集めることから一苦労で、誰かが寝坊でもした日には予定の変更すら余儀なくされる厳しいものでした。マジックオンラインは当時からもありましたが、あれのハードルが高いのは周知の事実かと思います。悲しい事ですが、かのUIに英語表記が重なると、耐えられるのは余程のヘビーユーザーだけになってしまうのです。

個人的には、バグに怒り、拙い英語で保証請求の申し出を書くのも良い思い出ではありましたが、MTGAのストレスフリーなUIで、日本語で、そして圧倒的に手軽にドラフトができるのは革命と言っても良いでしょう。

 

(個人的・主観的な考察ではありますが)上記の理由により、現代のドラフトは類を見ないほどに面白く、良いバランスのフォーマットとなっています。デザイン演説2020では、イコリアのリミテッドについて非常に良い反響があったと語られていますし、基本セット2021は基本セットとは思えないほどに面白かったと私の周囲では言われていました。ゼンディカーの夜明けも、ベテランのリミテッドプレイヤーも絶賛する出来で、私個人も楽しく遊ぶ事ができました。MTGAによって舗装された今、私たちは歴史上最高クラスに楽しいドラフトを、自宅でスナック菓子をつまむような感覚でプレイできる時代になっているのです。


そこまでドラフトに注力していなかった筆者も、イコリアでMTGAに対人ドラフトが実装されてからはセット発売の度にPCに齧り付いてドラフトをするようになりましたし、ゼンディカーの夜明けでは気付けばミシックに到達していました。面白くなければここまでやる事もなかったでしょう。

FIRE、1セット制によるテスト負荷の増大とデザインの変化、MTGAによるインフラの整備、どれも現在のスタンダード構築環境が破滅している原因とされ、どこか悪者のような扱いを受けている側面があるように思えます。しかしながら、それは闇の一側面であり、別の視点から見ると恩恵があるということ、そう簡単に否定すべきものでもないという事は頭の片隅に置いておくべきことなのではないかな、と思います。