丸くやわらかい。

アラサーがゲームについて語る。

「相棒がいなくなったから世の中が良くなるという話ではないと思う」

現在のスタンダードはプレイヤーの様々な不満をその背に乗せて走り続けています。

その不満は様々で、相棒に対する不満もあれば、環境に対するものもあり、昨今のウィザーズの態度から売り方にまで波及しています。議論が議論を呼び、誰が何がどう悪いのかと論じられる流れは、《王冠泥棒、オーコ》という明確な悪役が存在した"エルドレインの王権"期とは対照的かもしれません。今回はそうした話題についての記事です。

 

 

まぁ私程度の腕前で現スタンは云々としたり顔で語るのもおこがましい話ではあるのですが、幸いなことに私の周りにはプロとまでは行かずとも優秀なプレイヤーが多いですし、私自身これでも中々良い文章化ができる方だと自負もしています。というわけで、今回はいちアマチュアプレイヤー兼MTGブロガーとして様々なプレイヤーとお話して考えたことを文章化し、まとめていきたいと思います。

 

"多様性"と"再現性"

 

まずは、最近よく界隈でも耳にする"多様性""再現性"というものについてお話しましょう。

"多様性"は界隈でも長く使われてきた言葉ですし、日常的に使っているプレイヤーも多いかもしれません。大会のトップ8が全部違う環境を指して「多様性のある環境」なんて言いますよね。"色々やれるかどうか"を難しく言い換えた言葉です。

"再現性"は多様性と比べてあまり聞かない言葉ではないでしょうか。マジック界隈においてもイコリア発売以降使用頻度が増した言葉で、普段から使われるような言葉では決してありませんでした。

 

再現性(さいげんせい、英: reproducibility)とは、同一の特性が同一の手法により発現するとき、その結果の一致の近さのことである。

 

……まぁ、本稿ではこの言葉の語源について深く突っ込んで話すつもりはありません。あくまでそういうスラング程度に考えてください。"同じようなゲーム展開になり易いかどうか"程度の意味合いに捉えていただければ結構です。この界隈において、"再現性"とはそういったニュアンスで使われます。

 

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「もう一度やろうか……。」

 

ゲームにおいて再現性が高いか低いかというのはとても大事な事です。

極度に再現性が高い状況を分かり易く例えてみましょう──毎回同じデッキと当たり、ほぼ同じ初手でゲームが開始し、先手後手で展開は変わりなく、ゲームを決めるカードも活躍するカードも一緒で、事故要素もない──そんな対戦が続くと、どんなにゲームが好きな人でもまず飽きが来ます。"毎回同じな気がするな"と考えてしまった時点でもうアウトです。

だからこそ、カードゲームにはランダム要素があります。60枚のデッキが全部最初のターンに使えないのも、土地が伸びたり伸びなかったりするのも、全部のカードが使えないのも、何もかも再現性を低くして多様性を高くするためのルールです。

 

さて、薄々次に何の話をするか察しがついているかもしれませんね。"相棒"です。"相棒"は再現性という要素に真っ向から喧嘩を売ったメカニズムです。

とはいえ、私は何もかも相棒が悪いなどと言うつもりはありませんし、これは相棒を批判するためだけの記事ではありません。色々な意見を聞いていて思うのは、今のマジックはもっと複合的な問題を抱えているのではないか? ということです。いえ、"問題"というのも言い方が悪いかもしれませんね。より正しい言い方をするならば"ゲームそのものが変化してきているのではないか?" と感じたのでこうした記事をしたためたわけです。また酷く長くなるとは思いますが、お付き合いいただけると幸いです。

 

相棒について

 

現在多くのデッキが使用している相棒もそろそろ皆さんも慣れた頃ではないでしょうか。このメカニズムには色々と問題はあるのですが、今回はゲームの再現性という一点に絞って論じていきたいと思います。

前提として、いつでも必ず使えるカードはゲームの再現性を高めます。散々言われているのでここはあまり長々と説く必要は無いかもしれませんね。


次に私が再現性と密接に関係する要素だと考えているのは、ゲーム開始前に公開される点です。これは相棒側の背負うハンディキャップ的なものでもあるのですが、再現性を更に悪化させています。何故なら、相手側は相棒を見た瞬間にある程度アーキタイプに目星をつけてマリガンができるからです。「《獲物貫き、オボシュ》が見えているからアグロかな。除去が欲しいしマリガンしようか」これは多くのプレイヤーがやったことがあると思います。これにより、キープ基準がより明確になり、同じようなカードと遭遇する確率が高くなる、というわけです。

 

相棒はデッキ構築という面でも再現性・多様性に喧嘩を売っています。相棒を使う、というだけで条件に合致しないカードが全て弾かれ、一部の例外を除けば使用出来るカードプールは何分の一かに目減りします。使えるカードが少なくなれば少なくなるほどにデッキ構築はテンプレート化していき、自分に合わせた改造をしようにも選択肢が少なすぎてできない、というような状況に陥ります。

──と、論ずるだけならば簡単なのですが、実はこれには誤りがあります。マジックというカードゲームそのものが持つシステムの優秀さか、あるいは調整が素晴らしかったのかは不明ですが、現状相棒の構築が完全に単一化する事態には陥っていません。

 

《空を放浪するもの、ヨーリオン》を擁する【ジェスカイ・ルーカ】が極めて強力なデッキであり、トップメタである事には疑いの余地はありませんが、イベントの上位には多様なアーキタイプが並んでいます。【ティムール・アドベンチャー】【ティムール再生】や【スゥルタイ・ミッドレンジ】【ウィノータ】系列。最近特に活躍している【ジャンド・サクリファイス】など相棒を使わないデッキも一定の存在感を示しています。

相棒の中では《夢の巣のルールス》と《空を放浪するもの、ヨーリオン》の使用率が特に高いように見受けられますが、《ルールス》ならば【サイクリング】や【白単】【マルドゥ・ナイト】【赤黒ルールス】のような多様なデッキに、【グリクシス・ルールス】のような新進気鋭のデッキも登場していますし、《ヨーリオン》は【ジェスカイ・ルーカ】と【青白コントロール】(咎められる理由があるとすれば、このトップメタ2つの相棒である事でしょう)、【バント・ランプ】があります。

 

今のスタンダードは決して相棒一体につき単一の構築のみが存在するような状況ではなく、むしろ多様なデッキ──それこそ、アグロ、ミッドレンジ、コントロール、コンボが欠けなく揃っています。それに相棒の有無までもがばらけて日単位で様々な構築が試され、メタゲームを回しているのです。

 

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パワーレベルという一面から考えるならば彼らのマナコストが混成マナであることは明らかにおかしいのですが、結果を見るにこれはむしろ英断だったと言えるのかもしれません。これによって相棒を使ったアーキタイプにも多様性が生じているわけですから。
はっきりいって《ルールス》のコストが(1)(W)(B)だったらと思うとゾッとします。相棒は選ばれたいくつかのデッキにしか使えず、格差社会は広がり、より多様性のない環境になっていたに違いありませんから。

 

私がここで実例を挙げてまで伝えたかったことは、"相棒はその性質により再現性に激しく喧嘩を売っているものの、多様性を損なってはいない"という点です。これは相棒というメカニズムを叩く前に前提として知っておくべきことだと考えていますし、「ほとんどのデッキが相棒を採用しているから環境が一極化している」というのも乱暴な意見なように思います。

「《ルールス》は絆魂いらねーだろ」とか「《ヨーリオン》のブリンクは1つだけにしろ」辺りの能力の内容に対する批判はまったくその通りだとも思いますが。

 

ゲーム全体の変化

 

見逃されがちな要素なのですが、相棒との相互作用によってゲームの再現性を高めているのが、基本セット2020から実装された"ロンドンマリガン"という制度です。先述のように、相棒が公開された時点でデッキ内の要るカード要らないカードにある程度の目星がつくため、それに準じたキープが行われるわけですが、ロンドンマリガンの安定性は既存のマリガン制度よりも高く、(もちろん事故はありますが)相棒の要素が加わることでゲームの再現性は跳ね上がります。


この辺りの噛み合わせが昨今のスタンが押しつけあいと揶揄される原因な気がしてなりません。毎回《創案の火》を置かれている気がする。毎回《時を解す者、テフェリー》を出されている。毎回、毎回、毎回──これは相棒のせいだけでなく、マリガンの方も原因ですから。相棒が使われなくなったところで特定のキーカードを用いたデッキとの遭遇率が変わることは無いでしょう。

ここの問題を知らない状態でスタンダードをプレイすると、確かに理不尽感が強いと感じるのも納得がいきます。これまでの環境よりもキープ基準が明確でゲームスピードが速く、手緩いキープをすれば容赦なく轢殺されますし、(それを知らない当人は運以外の理由が分からないのに)相手は毎回腐らないカードを手札に抱え、毎回しっかり強い動きを押し付けてくるわけですからね。今は相手の行動に対処するためのカードも強いので、ある程度分かっていればそこまで理不尽感を感じないようにはできてはいるのですが、印象として押し付けめいたものを感じるのは理解できる話です。

 

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とはいえ、マジックで最も不快な瞬間は“土地を引かない時”であることは事実ですし、そういった“ゲームにならない状況”を減らそうと純粋な善意で考案されたものがこのロンドンマリガンな訳ですから、一概に悪いとは言えません。ただ、現在は、そう、巡り合わせが少し悪いように感じますね。

 
ゲームの再現性という面においては、カードパワーのインフレに伴ってカードアドバンテージを失わずに何かをするカードが増えた点も問題の一端を担っていると言えるでしょう。これは《ヨーリオン》の80枚デッキが事実上制約になっていない点にも深く関係しています。
《時を解す者、テフェリー》《覆いを割く者、ナーセット》のような、カードアドバンテージを失わない軽量プレインズウォーカーはもう飽きるほど見たでしょう。《成長のらせん》《自然の怒りのタイタン、ウーロ》《発現する浅瀬》いったランプ戦術の基本パーツたちは執拗なまでにアドバンテージを失わないカードになっています。《海の神のお告げ》や《メレティス誕生》はカードアドバンテージを失わないどころか、《ヨーリオン》によって手札が増えます。《サメ台風》のサイクリングは手札を減らさず飛行クリーチャーを生み出し、《パンくずの道》は……《エッジウォールの亭主》は……と、一々説明していたら無駄に長くなってしまうほど、単純に現環境には軽く、カードを失わないカードが多いのです。

こうしたカードたちとロンドンマリガンによって安定性は増し、原因が分かっているのなら自然な事であるにも関わらず「毎回4~5マナのキーカードを出されてゲームが終わっている」というような印象を抱きやすくなっているのでしょう。

 

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これは恐らく開発側が想定する「スタンダードのパワーレベル」が跳ね上がった事による弊害でしょう。"アモンケット"の前後のスタンダードの「対応するカードが弱すぎて環境に柔軟性がない」というプレイヤーからの批判を真摯に解決するためにウィザーズはカードパワーを高めていきました。

"ドミナリア"から"ラヴニカの献身"に渡ってセット全体のカードパワーはV字型に回復していき、様々なカードが等しく強い事で環境は多様性を蘇らせていきましたが、ウィザーズは止め所が分からなかったのでしょう。"灯争大戦"辺りから前代未聞のレベルにまでカードパワーは増していき、"モダンホライゾン" "エルドレインの王権" "テーロス還魂記" そして今回の"イコリア:巨獣の棲処"と、平均して異常に高いカードパワーのセットが現在マジックに存在しているあらゆるフォーマットをリアルタイムに変化させ続けています。

これらが起こす問題はあまたあるとは思いますが、今回の記事に沿った形でまとめるならば"全体的なカードパワーの上昇が「3マナまでのアドバンテージを失わないカード」と「4マナ以上のゲームを終わらせるカード」の増加という形で現出し、それらがマリガンや相棒と繋がる事によってゲームの再現性を高めている"といった所でしょうか。

 

これらを受けて

 

ことスタンダードでは正常にメタが回っているにも関わらず、ウィザーズは6月1日に相棒のメカニズムのルール変更を伴う禁止改訂を行うことを発表しました。

何故こうなってしまったかと言えば、ただ単純に"プレイヤーからの不満の声が大きかったから"であることに他ならないでしょう。禁止とはプレイヤーの不満を原動力とするものであって、環境のバランスが崩れていても不満がなければ禁止を施行する必要性がないからです。

多様なデッキがあって、相棒も当初思われていたよりは一強ではなくて、毎週のように新しいデッキが顔を出して、やってみれば意外と色々できて楽しい──そんな環境でプレイヤーが感じている不満とは何によるものなのか、今回は"不満の理由"を分析し、言語化してみましたが、これは相棒という単一の問題を越えて、ゲーム全体に波及したものだと考えられます。

多様性は守られて、ゲーム単位での再現性自体は高い環境だからこそ、禁止改訂と言ってもただ強いカードを禁止すればいいというわけではありません。状況はもっと複雑で大きく、根が深いものです。最悪の場合、多様性すらも失われてしまうかもしれませんし、今の時点でも確信しているのは、禁止したからといって3年前のマジックに戻るわけではない、ということです。

 

"解析不能のカードゲームは作れるのか?" という命題に対し、私は"作れない"と答えます。DCG上がりの新規プレイヤーの登場、年齢層の上昇、MTGAの登場と、これまで様々な事があってプレイヤーの質も環境の解析速度もすさまじい勢いで向上しています。コンテンツの消費速度は速く、一日でレガシーの【ジャイルーダ・コンボ】は形になり、一週間もしない内に下の環境は《ルールス》に埋め尽くされ、一ヶ月でヴィンテージとレガシーの禁止が起き、そこから二週間で相棒のルール変更を告知と、目まぐるしい勢いで非常識は新たな常識に変わり、それに伴い不満が出て、運営側はその常識を打ち崩して、不満の種を消すことでコンテンツの寿命を少しでも伸ばすために奔走しているわけです。ウィザーズも最近少し禁止に慣れてしまっていませんか? 禁止とは本来最終手段である筈なのに。

 

6/1の禁止改訂はウィザーズの腕前が問われます。コンテンツの寿命を延ばすための禁止のつもりが短くしてしまった、という事もあり得るほどにこれは複雑な話です。

 

「相棒がいなくなったから世の中が良くなるという話ではないと思う」

 

せめて良い禁止を。禁止するならば本当に不満の元が除かれるような禁止を、と切に願います。