丸くやわらかい。

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"騎士"とはいったい何なのか?

飲み込まれるような沼の暗黒と悪臭の中から、かすかに輝く姿が現れた。

返り血を浴びた甲冑と、膿にまみれた剣のみが、騎士がたった今滅ぼした途方もない邪悪の存在をわずかに教えている。

――《白騎士》

 

 

最近、またブロールをやっています。

私はハイランダー系の構築フォーマットが好きで、しばしばプレイしています。

旧枠モダンブロールなどの胡乱なフォーマットに加えてドミナリア発売当時のブロールにも触っていましたし、昔はEDHもそこそこ精力的にやっていたりもしました。この話をするのも何度目かになりますね。

 

こうしたフォーマットはデッキの顔になる統率者選びが重要になります。今回のイコリアですと"頂点"や10体の相棒サイクルなど選択肢が多くて良いですね。

《願いの頂点、イルーナ》のブロールデッキを数時間回して調整もひと段落つき、新しいデッキでも組んでみようかなとデッキ一覧を眺めていた所、昔組んだデッキの残骸が残っている事に気づきました。

 

そのデッキの統率者の名は《アッシュベイルの英雄、グウィン卿》

"エルドレインの王権"におけるブロール構築済みデッキに収録された、騎士と装備品を中心としたデッキのリーダーとなるべく生み出された女性騎士です。

 

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「ああ、そういえばこんなヤツいたっけな。折角だし改造して使ってみるか」

そう考えながらデッキを開き、カードリストを眺めながら新しくデッキに入るカードを探していた私は、すぐに落胆することになりました。

 

何を隠そう"エルドレインの王権"以降の2セット、"テーロス還魂記"と"イコリア:巨獣の棲家"には1枚たりとも騎士が収録されていないからです。

装備品もテーロスにたったの4枚。4枚とも《グウィン卿》の能力で踏み倒して嬉しいものでもありません。

 

エルドレインの王権で一度大々的にフィーチャーした以上、毎回毎回騎士を増やしてしまってはスタンダード環境で騎士が強くなりすぎる危険性を孕んでいます。

エルドレインの騎士たちは既にガッチリとシナジーがあり、下手にこれ以上増やせばパーツが多くなりすぎてしまい、アグロデッキをするなら騎士一択という面白くない環境になってしまうかもしれません。

そうした開発の都合も少なからずあったのでしょう。騎士フリークの方には残念な話ですが、今のマジックは騎士という概念が存在しない次元が二度も続き、半年もの間一人も新しい騎士は増えていないのです。

 

 

 

さて、今回はそんな所から始まります。無軌道にその時気になったことや思いついた事を調べて語っていくという、いつものマジック記事。今回のテーマは“騎士”です。

 

勿論Magic:the Gatheringなどという海外の渋いカードゲームに慣れ親しんでいる皆さんの事ですから、ハイファンタジーや、それらの題材でもあるヨーロッパの歴史に明るい方もいらっしゃるでしょう。もしかしたらこの記事に書かれているすべてを熟知している方も少なくないかもしれません。

 

重々承知してはおりますが、私のブログに来てくださっているのはそうした方ばかりではありませんので、あまりに基本的な事を言っているようでもどうか生暖かい目で見ていただければ、と思います。

いつもの通り長くなってしまうとは思いますが、なるべく知っている方も知らない方も楽しめるような記事にしていきたいとは思っておりますので、どうか宜しくお願い致します。

 

 

 

では、始めていきましょう。

 

 

 

そもそも、皆さんは騎士という職業がどんなものであるか知っていますか?

"騎士"とはいったい何なのか。現実に沿うならば“馬に乗った戦士”の事です。なんだか味気ない定義ですが、限りなく騎士の起源に近い定義をするならば、こういう事になります。

人類の歴史における最初期の騎士とはただ単に馬に乗って戦う戦士の事であり、それに様々な付加価値がくっついて現在の私たちのイメージに近くなっていくのはもう少し時代が進んでからです。

 

遥か昔、"馬に乗った戦士"はそれはそれはハードルが高い職業でした。馬そのものを調教し、自分も乗馬の訓練をし、その上で武芸にも達者で、馬と自分のために普通の戦士よりも多くの装備を買えるくらいのお金を持っていなければ"馬に乗った戦士"にはなれません。

だからこそ、"馬に乗った戦士"は強かったのです。戦略シミュレーションゲームでも普通の戦士が5マスしか動けないのに騎兵は7マス動けるとか、そういった目に見える移動力の差があったりしますよね。そういうゲームに慣れ親しんだプレイヤーならば騎兵の機動力に助けられた経験は一度や二度ではないはずです。

 

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マジックの騎士の起源である《白騎士》と《黒騎士》もしっかり馬に乗っています。

 

 

「騎兵は移動力が高いけど他の能力は控えめにしてバランスを取ろう」だとか、そういったゲーム的なバランス調整の結果として、少なくともゲーム内においては騎兵と二本の足で歩いている戦士とで五分五分程度の戦いが行われるわけですが、現実なら走っている馬に轢かれたら普通に死にます。

 

競馬で走っている馬がどれくらいの物なのか軽く調べてみたのですが、体重500kgの肉体が時速90kmで走るそうです。一般道の普通車の法定速度は時速60kmです。それより1.5倍速い重量500kgの物体と衝突したら人間は余裕で死にます。

 

そうした事もあって、彼らが戦場の主役になるのは必然でした。

マジックでもそうしたカードは幾つかあります。まさに今説明したような"馬に乗った戦士"を"騎士"として定義しているカードたちです。そうしたクリーチャーは騎士(Knight)というクリーチャータイプを持ちながらも騎兵(Cavalier)あるいは乗り手・騎手(Rider)という名を冠している事が多いです。

騎兵はフィクション作品でまず想像される騎士とは少し毛色が違うかもしれませんが、それでも現実に則して"騎士"という定義を考えるならば、彼らは正しく騎士なのです。

 

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昔は騎手なるクリーチャータイプもあったのだとか。
騎士と騎手を分けて定義する意味は無いと気付いたのでしょう。

 

 

前述したように、"馬に乗った戦士"は戦場において頼れる存在でした。その戦功は評価され、彼らは特別な地位を獲得します。中世においては騎士は単なる"馬に乗って戦う戦士"ではなく、征服戦争での功績から領地を分け与えられた領主となり、相応の身分を手にする事となりました。

 

キリスト教が聖地を取り戻すための遠征──十字軍を計画し始めると、騎士の立場はキリスト教の理想を守るもの、誇り高く高潔な聖なる戦士といったものに変化していきます。これが所謂"騎士道精神"というものの起こりだそうですね。

 

ただ、それが本当の事かどうかと言えば全く違っていて、現実の騎士も十字軍も略奪をはたらき、虐殺を行うようなとにかく野蛮なものだったと伝えられています。私も高校の時の世界史で「十字軍はカス(要約)」というような世界史の先生の主張を聞いた覚えがあります。

マジックにも十字軍(Crusader)の名を冠する騎士のカードは数多く、そのものズバリな《十字軍》という名カードも存在します。低コストながらも優秀な騎士たちをかき集め、《十字軍》で強化しながら攻め入るというのは、信仰の名を借りた侵略戦争でもある歴史上の十字軍を上手く表現していると言えるでしょう。

 

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白は純潔を。赤は信仰の為に流される血、ひいては犠牲的精神を示すのだそう。

十字軍で調べると蛮族と見紛うような凄惨なエピソードが次々出てくるので興味があればご確認ください。

 

 

さて、実態はともかくとして、キリスト教によって中世に美化された騎士が多くのフィクション作品における騎士の原型になっているという事は確かだと思われます。詩人によって謳われた騎士の冒険譚や活躍は多くが欺瞞だったのかもしれませんが、そこには抗い難いロマンというものがありますよね。

この時期に纏められたという"アーサー王物語"の登場人物が現代の皆さんのスマートフォンの画面で生き生きと動いているのだと考えると、フィクションが持つ力と言うのも侮れないものがあります。

 

さて、それでは最初の問いに戻るとしましょう。

"騎士"とはいったい何なのか。

ここまで読んでいただけた皆さんならば分かると思いますが、時代によって騎士という言葉が持つ意味やイメージは変遷しています。単に馬に乗って戦う戦士が騎士と呼ばれる事もあれば、高潔にして信心深く、礼節を重んじる道徳的な戦士が真の騎士とされることもあり、馬に乗る事ができた富裕層が結果的に騎士であったという時代もあるわけです。

 

そうした中で、フィクションの文脈に沿って騎士を定義するならば"重装備をした名誉を重んじる戦士"といった所でしょうか。

ゲーマーの皆さんにとっては慣れ親しんだ設定かもしれませんね。地下迷宮の中に馬は連れていけません。そして、徒歩の仲間と並んで旅をするには馬は不要です。

故に、騎士が騎士である事を定義するのは装備と精神、あるいは立場であり、馬ではないのです。甲冑を身に纏い、剣と盾を携え、公正さ、誠実さ、そして勇気に溢れ、邪悪を滅ぼすために戦う正義の戦士。これです! これこそがフィクションにおけるテンプレート的な騎士と言えるでしょう。

 

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体感的な話ではありますが、騎士が特別な立場にいる次元では騎乗しない騎士も描かれる傾向にある気がします。その次元においては騎乗が騎士の定義でないからなのでしょう。

 

 

エルドレインにおける騎士はこういった地位と身分のある騎士がフィーチャーされており、"卿"と呼ばれるキャラクターも数多く登場します。

ちなみに、イギリスの騎士は"Sir"と敬称がつけられますが、マジックにおける騎士の敬称は"Syr"です。Sirは”~卿”としての意味のほかに男性に対しての敬称でもあるので、女性騎士でも同じ敬称で済むようアレンジしたのだとか。面白い配慮ですよね。冒頭でご紹介した《グウィン卿》も女性騎士であり、英語名はSyr Gwynです。

「イエス・サー!」という掛け声はつまりそういう事です。女性の場合は「イエス・マム!」でしょう? つまりエルドレインにおいては男女どちらに対しても「Yes, Syr!」で通じるわけですね。

 

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昔はSirも普通に使われていたようですが、昨今は特に配慮が求められるのです。

 

 

"アーサー王物語"をベースにおとぎ話を複合させてデザインされたエルドレイン次元はまさに先ほどお話した美化された騎士の世界だと言えるでしょう。王と国に忠誠を誓い、卓越した武力を持ち、名誉を重んじる。私たちの思い描く騎士像です。

 

そうした模範的騎士のバージョンアップ版のようなものとして聖騎士(Paladin)というカテゴリーも存在します。RPG等においては"聖"の文字もあって白魔法も使える騎士というイメージを抱く方も多いのではないでしょうか。

僧侶的な魔法を行使できるという特徴は、特に信心深く模範的であることをゲーム的に表現したものであり、パラディンの本来の意味合いとしては"皇帝の丘(Palatium)に属する者"そこから転じて"高位騎士"といったニュアンスだそうですね。宮殿を表すPalaceという言葉もそこから来ているのだとか。

 

特に武力面・精神面において他よりも優れた騎士というイメージを踏襲し、聖騎士(Paladin)を名乗るカードの殆どは秩序を重んじる白に属しています。

五色全てに数多の騎士を要する宮廷があてがわれ、全てに高位騎士としてのパラディンが存在しているエルドレインは例外的なものだと言えるでしょう。

 

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「たとえ希望が夜に抗うかすかな炎一つだけになろうとも、私は王の不在を守る。」

 

「誰かが王の居場所を知っているはずだ。その秘密を我々から隠し通せると思うな。」

 

「夏も冬も、そしてまた次の夏も走ることになろうとも、私は王を見つけ出す。」

 

「王は王国のためなら死を厭わないだろう。俺も王のためなら迷わずそうする。」

 

これぞ聖騎士。王への忠誠。といった感じですね。

現実における騎士道精神をもとにマジックの世界観に則したアレンジとして、各宮廷はそれぞれ最も重んじる美徳があるという設定を持っています。

"忠誠"の白"知識"の青"執念"の黒"勇気"の赤。行方不明になった崇王ケンリスを探し出すというエルドレインのストーリーライン上で、各宮廷の騎士たちが己の美徳に従って行動しているのが分かるテキストです。

テキスト欄の関係上《ギャレンブリグの聖騎士》に"強さ"の緑を象徴するようなフレーバーテキストが無いのがもったいないですね。

 

とはいえ、現実の騎士がフィクションの聖騎士のように素行の良いものばかりであったわけではないというのは先述した通りです。

そもそも、中世の騎士にはさまざまな種類がありまして。貧しい小領主として生きる者もいれば、自分の力を試すために身一つで旅をする遍歴騎士と呼ばれる者もいました。中世後期には騎士という職業も戦術的な価値が下がり、没落して傭兵のようなものに成り下がっているものも多かったと言います。

騎士とは言えど立場も精神性も様々なカオスの様相を呈している中、無理やりそれらを一括りにして民度を測るのは中々無理がある話かもしれません。

 

騎士たちの民度はさておき、そうした素行の悪さには仕方のない一面もありました。全員が全員お金持ちではなかったという点に加えて、遠征をすれば物資は足りなくなりますから、どうしても奪って補給しなければならないこともあるわけです。「遥々遠征のためにやって来て全員餓死しました」では話になりませんから。

聖地奪還という大義のために少々の蛮行は許容されたのでしょうね(まぁ完全な悪意から残虐行為を行っていた者も少なくなかったようですが。あくまで一面です)。

 

仕方のない部分があることは分かっていても、教会としては名誉を重んじる騎士のイメージから乖離する行動はなるべく控えて欲しかったのでしょう。「ある程度は許すけれど、イメージ戦略とかもあるから、あまり蛮族みたいな事はしないで欲しいなぁ」と。

騎士はこうあるべきだという美徳を示した"騎士道精神"の一般化にそうした事情があったことは想像に難くありません。そして、それは実行が困難であるからこそ美徳として輝き、"騎士道精神"に準じて行動できるものこそが聖騎士として尊敬され、賞賛を受けるのです。

 

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騎士とは一体何なのか。難しい話です。

歴史の流れの中でその姿を変える、騎士という概念。それを正確に捉えるにはしっかりとした知識と思想が必要なのでしょう。

フィクションの騎士は良いものですが、それは現実における最上級の騎士がモチーフになっているからです。だからと言ってフィクションの騎士に否定的な目線を持て、などと言うつもりは毛頭ありませんが、時代の流れの中にはさまざまな騎士がいたという話を知っていると、なんとなく騎士という職業を見る目にも深みが出てくるのかな、と思うのです。 

騎士が騎士である証は馬なのか。装備なのか。それとも精神性なのか。時と場合によって変わる"騎士"という称号について、皆さんが考えるきっかけを作れたらな、と思います。

 

さて、今回は長々と騎士の話をしてみたわけですが、どうでしょう?

なんとなく騎士を見る目が変わったり、使いたくなったりしてきましたか?

まだ少し間は空きますが、次に発売するセットは"基本セット2021"。捻った世界観が特徴の拡張セットと比べ、基本セットはマジック未経験者でも「ファンタジーと言えばこれ!」と感じる事ができる、正統派に寄った収録を行う傾向にあります。

イコリア次元を十分に楽しんだなら、次は今度こそ新しい騎士が出るのかな、などと想像するのも悪くありません。